支笏湖の湖底清掃活動をしていると、時々、驚くようなゴミを拾うことがあります。大抵は、処分する以外なんの価値も使い道もないものですが、今回は見るからに古いビール瓶(およびビール缶)で、昭和時代の相当古いものだと思い、瓶に⭐︎マークがあったことからサッポロビールに持ち込んで鑑定を依頼することにしました。
その結果は下記の通りでした。
・株式会社オーシャンデイズ
代表取締役 板谷 貴文様・株式会社Limixceed
代表取締役 角田 和将様先日は、弊館まで珍しい缶、ビール瓶をご持参いただきありがとうございます。その際は直ぐにご返答できず申し訳ございません。
その後分かったことをご報告いたします。
1)缶について
1982年から1984年にサッポロビールから発売されたものです。
手元に写真がないのですが、当時のニュースリリースがありましたので添付いたします。
2)ビール瓶①
肩部に「Sapporo Beer」と陽刻があるビール瓶ですが、これは胴下部に ○正633ml の陽刻があります。実は、昭和26年6月に「計量法」が公布され、メートル法に統一することが明確化されました。現在のビール瓶の容量は、この計量法の規定に従ってml単位で表示することが定められ、それ以降、ビール大瓶は633mlに、小瓶は334mlとなりました。
さらに、同法によって通産省の許可を得たビール瓶は特殊容器として ○正 の表示をして、中身容量を入身線で管理できるようになりました。大瓶は昭和31年7月から ○正 大瓶として認定されています。従って、同瓶は、昭和31年7月以降に製造されたものとなります。
また、この昭和31年は、現在のサッポロビールはまだ、日本麦酒株式会社でした。ただ、同年3月北海道で「サッポロビール」が復活発売されており昭和31年以降ということが裏付けられます。ただ、ラベルがないこともあり製造年を特定するには至りませんでした。
3)ビール瓶②
大日本麦酒の瓶です。同瓶も①同様ラベルはありませんが、「王冠栓、いかり肩、底が上げ平底で、割型痕が胴部から口縁直上まであり、底部に円状痕がないことから半自動式機械成形。瓶色は褐色半透明で気泡が多く混じる。肩部に陽刻「TRAD◎MARK<DNBマーク>、胴下部に陽刻「DAINIPPON BREWERY Co.LTC」,底部に陽刻「<星型マーク>とある。
陽刻より大日本麦酒株式会社(サッポロビールの前身)のビール瓶である。また、年代は、全社的にコルク栓から王冠栓に切り替えられた大正6年(1917)以降、北海道工場で全自動式のオーエンス機AW型が稼働して吹田式半自動式製瓶機が廃止された昭和2年(1927)以前と考えられる。」
以上の記述は、盛岡市遺跡の学び館 学芸レポートVol.7 2024.2.3「近代のビール瓶-盛岡市内出土・採集資料と市場流通資料の事例-津嶋和弘著 を引用しております。
以上より、
・ビール缶 1982年から1984年 サッポロビール㈱製
・ビール瓶① 昭和31年(1956)7月以降に製造 日本麦酒㈱製orサッポロビール㈱ いずれかは不明
・ビール瓶② 大正6年(1917)から昭和2年(1927)大日本麦酒㈱製
参考までにサッポロビール株式会社の変遷をお伝えいたします。
明治9年(1876)開拓使麦酒醸造所開業
明治20年(1887)札幌麦酒株式会社
明治39年(1906)大日本麦酒株式会社
昭和24年(1949)日本麦酒株式会社
昭和39年(1964)サッポロビール株式会社以上、お問い合わせに十分なお答えになっていますでしょうか。
取り急ぎご報告いたします。
なお、お預かりしております 缶、瓶ですが、ご返却いたしたく再度ご来館いただけると助かります。森谷宛にご来館の日時をお知らせいただきますようお願いいたします。
お手数をおかけしますがよろしくお願いいたします。
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サッポロビール株式会社 サッポロビール博物館
森谷 秀一(Moriya Hidekazu)
いかがでしょうか!?
結果として、昭和よりもさらに昔の大正時代に作られたビールの瓶だったことが判明しました。サッポロビールがまだ大日本麦酒株式会社(新一万円札になった渋沢栄一が取締役だった)だった時代ですから驚きです。
地元の企業様の積極的な協力を得られたブルーフロンティア支笏の清掃活動。このビール瓶は環境省支笏湖ビジターセンターに展示してありますので、支笏湖にお越しの際はぜひ見学していってください。